スポンサーリンク


年齢は本当にただの数字のなのだろうか〜新卒捨てた私が年齢に適した生き方を考えてみる〜




こんにちは。

 

22歳で大学を卒業、就職しないでセブに留学し23歳でシドニーに来ましたしょうりです。

 

シドニーに来てから初めて会った外国人との自己紹介で「23歳です!」と「何歳ですか?」と言うことや尋ねられることが減りました。

日本の高校大学で7年間体育会といった縦社会に似たような環境で生活してきた自分にとっては些細なことかもしれませんがそれはとても新鮮な出来事でした。

なぜなら、これまでは年齢がわからない初対面の人と話すときはその人の年齢を知り自分との年齢との距離次第で言葉を選択しないといけない、またはそれを知ることで、その人がどのような人かを回りくどく自分の法則に当てはめ相手を知ろうとし会話のネタにしようとしていたことを特に疑問も持たずに自然のようにやっていたからです。

しかし、こちらに来てから年齢に関したそれらはあまり意味のないような行為に思え、それと同時にその年齢によったしがらみに対しても疑問を持つようになりました。 いわゆる「年齢はただの数字なのではないか」と言うやつです。 なので、本日はそんな「年齢」について彼らと接したことで変化した自分の心境について書きます。

スポンサードリンク

どちらかといえば自分は仕方なく敬語を使われていたと思う

自分は約一年前まで大学の体育会ラグビー部に所属し計16年間ラグビーを続けて来ました。多くの先輩後輩に出会って行く中で、ごくごく自然な流れで学年が上か下かによって言葉を使い分けて会話をしていたので、目に見えた上下関係がそこにはあったと思います。当時、この言葉の使い分けに対した疑問は全くのゼロでした。一応、先輩が先輩なのは「年上だからではない。何かがすごいから。尊敬できるからだ」と敬う理由を教えられて来ましたが、実際は全員を尊敬はしていなかったです。むしろ発言や考えなど同期や後輩の方が尊敬できる!なんてこともありました。少なからず同期はそのように思っていた気がします。しかし基本的にはどんな先輩にも敬語を使い話していたので、「そういうもん」という認識程度であったと思います。

年齢について考えあの7年間を振り返ると、上下関係というのは組織を割と簡単にまとめる便利なものの一つだったなあと気付かされます。生まれた年や入った年で自分の最初の立場が決まることで簡単に上から下という関係性ができてしまうのです。なので大学4年時の自分は「そういうもん」に守られた側の先輩で、その風潮によって仕方なく敬語を使われていました

しかし、敬語が日本のように強く言葉に現れずそして年齢をあまり聞かないこの国では「そういうもん」は少ないはずです。

「その人が起こした行動」に重く重点が置かれると自分は勝手ながら考えます。 つまり、年齢はただの年齢であって人間の尊敬度や成長には関係ないと言えます。 だからこそ年齢による上下関係のベールがない今は本当に「行動」あるのみです。

年齢に沿った生き方はない

序盤に自分は初対面の人とは年齢を聞いて「その人がどのような人かを回りくどく自分の法則に当てはめ相手を知ろうとし会話のネタにしようとしていた」と言いました。

しかしシドニーに来てからここでは年齢を気にしてもあまり意味がないことに気づかされました。 なぜならいろんな国のいろんな年齢の人がいろんなことをやっていて、歳を聞いたところで何もその人のことを知る材料にはならないと感じたからです。逆も然りで、自分の歳を伝えたところであまり自分の情報をわかってもらえません。(多分笑)また、そんな自分の道を行く人たちからは周囲を気にし何歳だからこれをしないといけないという概念も感じませんでした。

スポンサードリンク

それから自分はそのような人たちを見て年齢にこだわった考え方はやめることにしました。そして自分のやりたいことをこれからも突き進む挑戦の覚悟を決めることができました。

年齢を気にせず素直に生きることは自分にとって本当に苦手なものだった

いつからか覚えていないのですが自分は変な所で周囲の目を気にしてしまいます。大学を卒業し留学に行こうか考えている時期には色々なものが引っかかり中々決断することができませんでした。

特に、一番引っかかってたのは自分が 大学を卒業して22歳なのに無職 になるということです。普通であれば就職して働いている年齢です。自分の夢のためとはいえ「年齢に応じた生き方」を脱線することは自分にとってものすごくストレスでした。

またいろんな人に心配され、気の強い人なら「自分の道なんだからほっといて」と思うかもしれませんが周囲に合わせがちな自分はそんなこという勇気さえもありませんでした。

結局自分は周囲との比較や周囲の心配を押し切り、セブを経由し現在シドニーにいます。当時から一番挑戦したかった英語を話せるようになりたい」という大まかなビジョンを理由に留学を決めました。笑 今その選択に全く後悔はありません。確かに周囲とは別の道を行き新卒採用枠を捨てて留学しに行ったことは勿体無いかもしれません。(いや超勿体無い笑)ですが「一番やりたかったこと」をしたことで現在夢に近づくことができているのです。

 

これはあの時に、素直にやりたいことをやってみたのが大きく起因していると思います。

だからこそ、年齢によって周囲の目線を気にし自分の挑戦したいことを迷うのは勿体無いです。合わせることも大事な場面はたくさんあります。しかし、「挑戦したいことを突き通せばなんとか上手く行く」と自分はこの1年間で体験することができました。なのでこれからも自分が素直に思ったことに挑戦し続けて行きます。

年齢としたい事を周囲に心配されるのは仕方ない気がする

日本には、年齢に適した生き方を求めるような文化があると感じます。多くの日本人が似た自分の道を進んで来ていてそれが常識化しているからです。(多分笑)おそらく何かをやめて外国に来ようとすると、「海外いってこの先どうするの?」「しっかり考えた方が良い」など言われると思います。少なからず自分はそう言われました。笑 肩書きが「22歳 大卒 無職」になる選択をした事で多くの人から反対されました。でもそれは仕方ないことだと自分は考えます。なんせ先が見えない未知の領域に突っ込むわけですから。誰でも友人が不安定な世界に行くのは反対するもんです。多分自分が逆の立場でも同じことを言うと思います。ですが今の自分の選択に後悔はありません。セブに行ってよかったと思います。

最後に

実は自分も完全には周囲を気にせず素直に生きるということができていません。すごく細かい部分でですがSNSにおいてです笑あそこは自分を表現するのにはもってこいの場所のはずなのですが、なかなか年齢や勝手に周囲の目を気にし、投稿したいことにたまにブレークをかけてしまいます。笑 正直、ストーリーにはもっといろんなアホな投稿したいですし、このブログももっと堂々と行いたい!!と思っています。だから今回のこの記事は自分のインスタのプロフにアップしてやりたいと思います。

 

とにかく、隅から隅まで年齢を気にせず自分のやりたいことに挑戦し、全てにおいて素直に生き通して行くのが今後の目標です。年齢はやっぱりただの数字みたいなので。

 

本日の記事は以上です。ありがとうございました。

しょうり

スポンサードリンク



スポンサードリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

大学卒業後、英語を身につける為海外へ。3ヶ月間の予定でセブに留学。しかし留学先であった様々な人に刺激を受け、留学を2ヶ月間延長しさらに自分のやりたかったもう一つのことにチャレンジすることを決意。現在はシドニーでそのチャレンジをしています。