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タトゥーへの偏見 を進撃の巨人の世界と重ねて考えて見た。




前回の記事ではタトゥーや入れている人に対し、「受け入れること」「知ること」が重要と結論付けた。しかし、それでも攻撃的な姿勢をとり続ける人は数多くいるようで、情報を上書きしようとする人は少ない。

同じような状況を自分が第三者となり見ることができれば未知なものに対して「受け入れること」「知ること」がいかに重要かがわかると自分は考える。

そこで今回は、このタトゥー問題に関して似たような状況を第三者として見ることができるとある舞台があるので、それを参考にまたこの問題について考えていきたい。

その舞台とは進撃の巨人だ。

※ここから進撃の巨人を少し知っている前提でお話しします。

※ここからは超ネタバレ情報を含むため、単行本やアニメで進撃の巨人を楽しんでいる方本当にごめんなさい。

進撃の巨人は物語が進むにつれて人類対巨人のストーリーから民族同士の争いが描かれるのだが、まさにそのエルディア人(ユミルの民)、マーレ人、収容区に住むエルディア人(収容区のユミルの民)の関係性が現在問題となっている「日本におけるタトゥーの偏見」によく似ている。

とりあえずこの漫画の一コマを見てもらいたい。
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背の高い女性は壁内に住むエルディア人で子供はマーレの収容区に住むエルディア人だ。

この女性は昔、マーレ人によった巨人の攻撃により母を目の前で食われ亡くしており、このシーンはそんな女性が子供らに、なぜ母は何もしていないのに殺されなぜ自分たちエルディア人は何もしていなかったのに壁外の人間から嫌われているのかを質問しているという場面だ。

そしてその理由として子供のうちの一人がこう話した。

実はエルディア人は過去に巨人の力を駆使し、民族浄化を行なったのだ。

しかしそれは100年前のお話である。そんな、過去の先祖の過ちによって母を目の前で亡くした女性は問題の核心に徐々に迫っていく。

そう。彼女たちは何もしていない。そして

上書きされていない情報によって被害を受け続けてきたのだ。

このシーンの後一番最初にあげた画像になる。
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しかし、そんなエルディア人に対し、別の少年が、上書きされていない情報によって嫌い攻撃してしまったことについて女性に謝る。

その後、さらに女性は問題の核心をつく一言を言う。

壁内人類は壁にただ住んでいただけだ。しかし、壁外の人類は現在の壁内人類のことを知らないため、過去の先祖の過ちから一方的に彼らを悪とイメージづけをし攻撃をしている。

日本のタトゥー問題も同じようなことが言える。

過去のイメージが先行し、多くの人が上書きされていない情報や固定概念のようなものに囚われている事で日本ではタトゥーがかなり排他的なのではないだろうか。今一度、自分の考えに疑問を持ってもらいたい。

ものに対して好き嫌いやポジティブまたはネガティブなイメージを持つのは人それぞれであるし、タトゥーも入れる入れないのももちろん自由だ。ちなみに、自分はアートの点としてその技術に惹かれるが、簡単に消せないと言う点から一生入れはしないだろう。

だが、だからと言いルールを押し付けることや攻撃的な態度を示すことは間違っている。もう一度言うが今一度自分の考えに疑問を持ち、「知る」べきだ。それらは偏見をなくす鍵になるだろう。

もちろん、進撃の巨人の作中でも壁外から来てしまった子供二人が壁内の事を知り、自分のこれまでの考えに疑問を持ってこの世界の問題を解決する事を願う。
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ABOUTこの記事をかいた人

大学卒業後、英語を身につける為海外へ。3ヶ月間の予定でセブに留学。しかし留学先であった様々な人に刺激を受け、留学を2ヶ月間延長しさらに自分のやりたかったもう一つのことにチャレンジすることを決意。現在はシドニーでそのチャレンジをしています。