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「英語」に対してマウンティングしている人は時代に乗り遅れる




「スタバでマック」「渋谷のハロウィン」「英語かぶれ」これは過去に私がダサいと思っていたものだ。
当時は「パソコンするなら家でやれ。おしゃれじゃないぞ」とか「渋谷のハロウィンで騒ぐのはばかのやることだ」とか「日本人なんだから日本語で投稿しろよ」と特定の人を攻撃し優劣を決めていた。このような行為をマウンティングという。

しかしそんな私も今では、スタバに行けばマックブックを開いて英語の情報を発信し続けているし、渋谷のハロウィンでわいわい騒ぐし、インスタグラムでは英語で投稿することもある。

私はもうそのような事に対してマウンティングをやめたのだ。

なせなら、やった事ない、未知、少数、自分にできない事に対して勝手に劣等感を感じ、それを誤魔化すためにそれらに対してあたかも自分が正しいかのように順位付けをしていたら、その方が圧倒的に格好が悪いし時代に乗り遅れる事に気づいたからだ。

実際、スタバでマックブックはWiFiが使えて超快適だし、渋谷のハロウィンはとんでもない格好の女の人と戯れられるし、インスタで英語投稿すれば英語の勉強にもなっていい事しかない。

早く気づくことができて本当に良かったと思う。

英語を使用している人にマウントをとるダサさ

そのような物の中で「英語」はとりわけ攻撃対象になりがちだ。

私も大学生の時、キャンパス内で日本人同士で英語で会話をしている人を見て心の底からダサいと思っていた。「日本人同士でここ日本なんだから日本語で話せよ」と。しかし、今思うと彼らのように自分の好きなようにして何がダサいのかが疑問だ。むしろ劣等感を隠し自分を肯定するために英語に対してマウンティングをとっていた自分の方がよっぽどダサい。

自らチャンスから遠のいていた人間がかっこいいわけがないのは明らかである。

素直に生きた方が絶対に面白い

人と違うことをすると確実に批判がくる。それは人生に関われば関わるほどより変人扱いされる。私が大学を卒業してそのままフィリピンのセブに留学したときもそうだった。
そんなんだから、どんな些細なことでも周囲を気にしながら生きている人の方が多い。私もインスタグラムのストーリーはすぐに消しがちだ。

しかし、先ほどの例でもあげたように自分に素直になって「少数」とか「周囲」とか気にせず、好きなことを自由に表現できればもっと面白くなると思う。ネットが発達して自分を表現できる機会が無限にある現在、どこに機会が転がっているかわかったもんじゃない。そしてその波は急激に伸びている。

確実に時代はそういった方に味方しつつあるのだ。

なので、逆にそれを永遠に冷たい目で見ている人はいつまで立ってもそのままである。

マウンティングをしている人は確実に時代に乗り遅れるだろう。

 

本日の記事は以上です。

勝利でした。

 

 

 



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    ABOUTこの記事をかいた人

    大学卒業後、英語を身につける為海外へ。3ヶ月間の予定でセブに留学。しかし留学先であった様々な人に刺激を受け、留学を2ヶ月間延長しさらに自分のやりたかったもう一つのことにチャレンジすることを決意。現在はシドニーでそのチャレンジをしています。